場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

わかってもらうなんて無理な話

精神を病んでる人の辛さや気持ちを、健康な人にわかってもらうのは無理な話。

それこそ、精神科医やカウンセラーでもなければ、対応は非常に難しいのだと思う。

たぶん、私は今はカンモクではない。
通院している病院では、社会不安障害と診断されているけど、それだけでなくパーソナリティー障害もあるかもしれないと思っています。

自分で調べただけで診断を受けたわけじゃないけど、境界性パーソナリティー障害の症状が今の自分にとても似ている。

私が辛いときにおこしてしまった行動は、他の人を振り回す迷惑なものでしかない。
うつ病の兄弟がいたときに、私が兄弟の行動を全く理解できず迷惑だと感じていたように、周りの人に気持ちをわかってもらうのは非常に難しい。
そして、そんな人と関わりたいと思う人はいないし、自分の存在が邪魔にしか思えなくて死にたくなる悪循環。

だから、精神科の助けは必須なのでしょうね。
病院に行っても何も変わらないって思っていたけど、やはり通院して治療をうける必要はあると感じました。

人から必要とされ、好かれる人でありたい。
そんな人になりたいから。
死ぬことができないなら、自分なりに今できる精一杯のことをやるしかない。