場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

桜。春が来るのは嬉しい。

初めて学校で話せた

特殊学級に在籍するようになり月日は流れて、3年の終わり頃、特殊学級の先生と話せるようになりました。といっても、その先生と二人きりの時じゃないと話はでなかったし、先生も忙しかったのでそういった機会は少なかったのですが、それまで誰に対しても無…

再登校

退院して、しばらくの自宅療養後、再び学校に登校するようになりました。母がスクールカウンセラーの先生に色々と相談してくれたようでした。 再登校後、転機が訪れます。学校に行くと、緘動で給食が食べられないこと、摂食障害もまだ完治していなかったこと…

病院②

最初は不安で退屈で仕方のなかった入院生活にも次第に慣れていきました。 入院中は本をたくさん読みました。当時はまっていた作家はシドニィ・シェルダンやダニエル・スティール、アガサ・クリスティーといったミステリー作家。 シドニィ・シェルダンやダニ…

病院

病院に行くと、即入院することになりました。 そこから約3ヶ月程、入院生活が始まりました。入院生活は不安でした。 一日中家ではない環境にいることや、 困ったことがあっても自分から伝えられる自信がなかったからです。病院でも緘黙と緘動の症状はでまし…

中学入学後

中学入学後は、ひたすら耐える日々でした。話さず、給食も食べず、席から動かず固まったように座っている私はクラスメイトから面白がられ、からかわれるようになりました。「何で話さないの?」「喋ろよ」「そいつに話しかけても無駄だよ」「シカトするな」…

家族について

母と兄弟は過去に鬱病を発症しています。 私が小学1年~3年辺りまでは母が鬱で、母が落ち着いてきた頃に兄弟が鬱を発症しました。 そういった母や兄弟を見て育ったことは私の性格に少なからず影響を与えていたと思います。家族は私みたいに話せないといった…

緘黙の症状が出始めた頃

学校に行きたくない理由を母に話した後、私は1週間程学校を休みました。だけど母はこのまま私が学校に行かず不登校になってしまうことや、小学生の子どもを昼間1人で家に居させておくことが心配だったようで保健室に登校しなさいと言ってきました。保健室…

自信をなくした出来事④

公園に向かった私は、学校が終わる時間までここにいようと考えました。だけど、小学生が昼間に1人で公園にいることを心配した近所の人が学校に連絡をしたようで、一人の先生が公園に来ました。その先生は私を見ると「何で公園にいるの?」と聞きました。 怒…

自信をなくした出来事③

夏休みに入ると、私はそれまでが嘘のように元気になり毎日のように遊びに行きました。友達と一緒に夏休み限定の学習塾に通ってそこで勉強した後は、友達と遊んで家に帰るといった日々でした。 元気な私の様子に母も安心したのか、学校のことはあまり聞かれな…

父の言葉

私が学校に行けない理由を言い出せなかったのは、父の言葉も影響していたと思います。父は仕事熱心で、子どものことは母に任せっきり、それに加え無口で1人でいることを好み子どもと自分から関わろうとすることのない人でした。私が登校拒否をしていること…

自信をなくした出来事②

病院に行って健康そのものだと判明した後は、仮病を使って学校を休むことはできなくなりました。学校に行かなくちゃいけない。 それは分かっていても、学校に行くことを気持ちが強く拒否していました。 毎朝、支度してランドセルを背負っても家からなかなか…

自信をなくした出来事①

人見知りが激しく、友達ができにくいといった問題はあったものの、私は楽しく学校に通っていました。だけど、小学6年生のときに初めて登校拒否するようになりました。 その時は、楽しかった学校がとても辛い場所に変わっていました。 (その理由はこの記事で…

人見知りの激しい性格だった

前記事に書いたように、子どもの頃から人見知りする性格でした。 仲良しの子と、そうじゃない子の前では態度が別人のように変わっていました。 意識的にそうしていたわけでなく、自然体でいたいと思っているのに親しくない子に対しては緊張して普段の自分を…

略歴

私が緘黙を発症したのは中学に入学してからです。それまでは、仲良しの子の前ではすごくお喋り。 だけど、あまり話したことのない子に対しては無口になる。 仲良しの子以外には自分から話しかけられない。といった人見知り傾向があって友達は多くなかったも…

はじめまして

場面緘黙だった頃の記憶を少しずつ書いていきたいと思います。※ネガティブな記事を投稿することもあると思います。苦手な方は読むのをスルーしていただければと思います。にほんブログ村