場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

緘黙の症状が出始めた頃

学校に行きたくない理由を母に話した後、私は1週間程学校を休みました。

だけど母はこのまま私が学校に行かず不登校になってしまうことや、小学生の子どもを昼間1人で家に居させておくことが心配だったようで保健室に登校しなさいと言ってきました。

保健室に登校している生徒は私だけで、知り合いが保健室に来るたびに「何でここにいるの?」と聞かれたり、ジロジロ見られるのが恥ずかしくて嫌だったけど、それでも教室に行くよりは保健室にいるほうがマシでした。

この頃から、今思えば緘黙のような症状がでるようになりました。

保健室にいたときに、時々友達が話にきてくれることがありました。
でも私はひたすら友達の話を黙って笑いながら聞くことしかできず、友達から何か聞かれてもすぐ言葉が出てこなくて返事をするのに間が空くようになりました。
喋ろうとすると、喉がつまったような感覚があり、声がすんなりと出なくなりました。
小声で掠れたような声しかでなくなりました。

保健室の先生に、「次の時間は教室に行けそう?」と聞かれても、なかなか返事ができないことがありました。

本音は教室には行けないだったのですが、それを言ったら何て思われるだろう?
先生はガッカリするだろうか?
怒るだろうか?私がいつまでも保健室にいたら邪魔だろう。早く教室に戻れるようにならないと。でも教室に行くのは怖い。

そんなことをぐるぐると考えて、「行かない」と返事をすることができませんでした。
行けるのか、行けないのか、その返事を待っている先生は苛立っている様子でした。
「早く返事をしないと!言わないと!」
そう思っていても、声が出てこない。

結局「じゃあ行くなら頷いて、行けないなら首を横にふって」と言われ、私は首を横にふりました。
自分が小さい子どものように思えて恥ずかしかったのを覚えています。

給食も、以前は完食していたのに、食べられず殆ど残すようになりました。
食べている姿を見られることをとても意識するようになり、緊張してお腹も減らなかったし、食べ物が喉に通りませんでした。

そんな症状がありながらも、まだ声をだすことはできていました。
笑うことも、自由に動くこともできていました。

緘黙の症状が重くなったのは、中学に入ってから。
中学に入ってからは全く話せず、給食も食べられず、移動教室やトイレに行くとき以外席に座ったまま動けない、一日中体をガチガチに強張らせて過ごすようになりました。