場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

家族について

母と兄弟は過去に鬱病を発症しています。
私が小学1年~3年辺りまでは母が鬱で、母が落ち着いてきた頃に兄弟が鬱を発症しました。
そういった母や兄弟を見て育ったことは私の性格に少なからず影響を与えていたと思います。

家族は私みたいに話せないといった症状はなかったものの、それぞれ私とは違った形で人と関わることに困難を抱えている人達でした。
みんな性格は違っていたけれど、精神疾患に陥りやすい考え方だけは共通していたように思います。

父は基本的に家族に関わってくることがなく、放任状態でした。
母が鬱のときは、兄弟と私が母の対応をして、父が対応してくれた記憶は殆どありせん。

私が登校拒否になる以前に、そのような問題があったので家族に余裕はなかったと思います。
父母からしたら、「兄弟の次は私?もう勘弁してよ」という感じだったのかと。
実際にそのようなことを言われました。

以前は家族に対して「こうしてほしかった」という気持ちが強く怒りがありました。
でも今は…
どうなんでしょう?

怒りというよりも、悲しいなと思います。
高校卒業後、カウンセリングを受け、心理学を勉強していると自分の考え方の癖というものに気づきました。

白黒思考(思い通りの結果にならないと自分を卑下し、少し出来たことがあっても評価しない)、すべき思考(こうすべき、こうあるべきという思い込みが強い)、過小評価(出来たことは評価しないで、出来なかったことばかりに注目する)等々。

アルバイトをしても、1度ミスして注意を受けるとそのことばかり考えて「私って駄目だな」と思ってしまう。
そして褒め言葉も素直に受け取れず、人の言葉の裏ばかり読んでいました。
上手く話せないことだけでなく、常々自分にダメ出しをして自己嫌悪していたので、人と関わるたび疲れきっていました。

そしてそういった考え方の癖は家族にも共通していたのです。

父は学生のときにいじめられたことがあったそうです。
暴力を伴う酷いいじめだったと言っていました。
それでも父は学校に通い続けていたそうです。
いじめに耐えて学校に通い続けた父からしたら、登校拒否していた私を見て弱いと思うでしょう。
「自分は学校を休みたくても我慢して行ったんだ」という思いもあったのではないかと思います。
父が私に言った「そんなんだからいじめられるんだ」という言葉も、父が自分自身にそう言ってきたのかもしれません。