場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

自信をなくした出来事③

夏休みに入ると、私はそれまでが嘘のように元気になり毎日のように遊びに行きました。

友達と一緒に夏休み限定の学習塾に通ってそこで勉強した後は、友達と遊んで家に帰るといった日々でした。
元気な私の様子に母も安心したのか、学校のことはあまり聞かれなくなりました。

だんだん夏休みが終わりに近づいてくると、不安が大きくなって気持ちが落ち込んでいたけれど、それを表には出さないようにしていました。

夏休みの最終日、死ぬ方法は決めていました。
当時、兄弟が精神科にかかっていて、家には精神薬が大量にありました。
どういった薬なのか詳しいことは知らなかったけれど、「その薬を飲むようになってから兄弟は寝てばかりいる」と母が嘆いていたので睡眠薬のようなものだと思いました。

その薬をたくさん飲めば死ねるんじゃないかと思ったのです。
夜になって、家族がいない隙に薬を持ち出して一気に飲んでいきました。
何錠か飲んだ辺りでとても気持ち悪くなり、吐いてしまいました。
吐いてしまったら意味がないと思い、もう一度今度は飲む量を少なくして気持ち悪さを我慢しながら眠りにつきました。

翌朝、いつも通りに目覚めました。
体はスッキリしていて、昨日の気持ち悪さもなくなっていて、何事もなかったようにいつも通り朝を向かえました。
「ああ、死ねなかったんだ」と思いました。
家族の誰も、昨日の夜に私が死のうとしていたことなんて知りません。

この段階になってようやく、私は学校に行きたくない理由を母に話そうと決心しました。
だけど居間に降りていくと、当時鬱を抱えていた兄弟が大騒ぎを引き起こしていて、とても母と話ができる雰囲気ではありませんでした。

私は学校に行くしかない。
家を出たけど、結局学校には行けませんでした。
家に戻るわけにもいかず、どうしようもなくなって近所の公園に向かいました。

夏休み終わりの学校が始まる前日に子どもが自殺をしたというニュースを何度か見たことがあります。
そういったニュースを聞くと、心が苦しくなります。

「学校が全てじゃないのに。逃げることだってできるのに。自殺を選ぶくらいなら助けを求めれば良いのに。」と今の私はそう思えます。
でも、それは私がある程度大人になって視野が広がったから、そして当事者でない第三者だからそう考えられるのだと思います。

助けを求められなかったり、助けを求めても親や先生の助けが得られなかったりすれば、狭い世界に生きている子どもは逃げ道がなくなってしまいます。

ストレスの耐性は人によって違います。
ある人にとっては「そんなことで悩んでいるの?そんなことで学校に行けなくなるの?」と思うような小さなことでも、人によってはそんな小さなことがとても辛く感じたりするのです。

せめて、親や先生といった大人は「弱い、甘え」と言った言葉で突き放さず、辛くなっている子どもの気持ちに寄り添ってあげてほしいなと思います。