場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

父の言葉

私が学校に行けない理由を言い出せなかったのは、父の言葉も影響していたと思います。

父は仕事熱心で、子どものことは母に任せっきり、それに加え無口で1人でいることを好み子どもと自分から関わろうとすることのない人でした。

私が登校拒否をしていることを、母が父に愚痴ったのだと思います。
ある日、普段話しかけてくることが滅多にない父が突然私の所に来て、怒った口調で言いました。
「お前、学校に行ってないんだって?」
その後、「そんなに学校に行くのが怖いのか」と嘲笑うように言うと部屋のドアを音をたてて閉めて去っていきました。

またある日は、テレビを見ていたら当時人気のあった占い師が「いじめられる子にはいじめられる原因がある。弱い態度でいるからいじめられるんだ。強い態度でいればいじめられない」といったことを声高に主張していました。
それを見ていた父が私に向かって「今の見たか?お前がいじめられるのはお前の態度が弱々しいからなんだよ。強い態度でいればいじめられないんだ」と言ってきました。

私は何も言っていないのに、父は何故か私が学校でいじめられていると思い込んだようです。
私が黙っていると「それじゃいじめられるわな。あはははは!」と馬鹿にしたように笑いました。
その後に何かにつけて「お前は声が小さい。そんなんじゃまたいじめられるぞ」と言われました。

冷静に考えれば、テレビで占い師が言っていたことも、父の言う言葉も間違ってはいないと思います。
確かにいじめられる側にも原因があることはあるでしょう。
人間は人と会ったときに無意識にこの人は自分より強いのか、弱いのかを判断していると言います。
自分より弱い・抵抗しなさそうだと判断すると、ストレスの捌け口として攻撃してくる人は大人でもいます。
そういう人間から身を守るために、強い態度でいることは必要だと思います。

でもだからと言って、いじめて良い理由には絶対になりません。
何も言い返さないから、気に入らないから、嫌いだから、どんな理由があってもいじめをして良い理由にはならないのに、そこは主張しない人が多いと思います。

私は自分の弱さは既に充分自覚していました。
人見知りが激しい、引っ込み思案、消極的。
何度も何度も親や先生といった周囲の大人から指摘され続けてきたから。

私は父の言葉で気持ちが奮い立つどころか、自信をなくしました。
ただでさえ、学校に行けなくなっている自分が恥ずかしくて自己嫌悪していたのに父から言われた言葉によって「自分は弱い、ダメな人間なんだ」と強く思うようになりました。

弱さを指摘して責めるのではなく、辛い気持ちに共感してくれる人が1人でもいたら、どんなに気持ちが楽になっていたかと思います。