場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

自信をなくした出来事②

病院に行って健康そのものだと判明した後は、仮病を使って学校を休むことはできなくなりました。

学校に行かなくちゃいけない。
それは分かっていても、学校に行くことを気持ちが強く拒否していました。
毎朝、支度してランドセルを背負っても家からなかなか出られない。
母に「もう学校に行く時間でしょ」と言われてノロノロと出かけていました。

だけどある日、どうしても家から出られずランドセルを背負ったまま固まってしまいました。
母から「ほら学校に行かないと」と言われても、動けない。
「学校に行きたくないんでしょ?何で?理由を話なさいよ」と言われても、何も話せない。

何度聞いても、話そうとしない私に、母も堪忍袋の緒が切れ「理由を話さないなら学校には行ってもらうからね!」と言い、動こうとしない私を無理矢理引きずって家から追い出しました。

どんなに優しく「何で学校に行きたくないの?」と何度も何度も聞いても、頑なに話そうとしない娘に母が怒るのも、苛立つのも当然です。
でも当時の私は理由を話すことがどうしてもできませんでした。

毎朝のように、動こうとしない私と、学校に行かせようとする母のバトルが始まりました。
母も感情的になっていて、時には頬をつねったり叩かれることもあり、毎朝泣きながら登校していました。

どうしてあの時、早く学校に行けない理由を言わなかったんだろう。
言っていたら母の対応も違っていたのかもしれないのに。

その時は夏休みが目前まで迫っていた時期でした。
「夏休みまでの辛抱だ」と自分に言い聞かせながら学校に通っていました。

でも、夏休みに入っても、夏休みが終わったら学校に行かなくちゃいけない。
学校に行くのはもう耐えられない。
だけど、学校に行かないことを母は許してくれないだろう。
そうだ、死んじゃえば学校に行かなくてすむ。
夏休みの最終日になったら死ねば良いんだ。

学校に行きたくない。それだけのために死ぬの?
そんなことを考えるなら、勇気だして理由を話せば良いのに。その方が死ぬことよりずっと簡単なのに。

と今なら思う。

母は私が学校に行かないことより、行かない理由を話そうとしないことに怒っていたのだと思うけど、当時の私はそれが分からなかった。

夏休みに入るまでなんとか学校に通い、夏休みに入ったら「どうせ夏休みが終わる日に私は死ぬんだから、それまでは学校のことは忘れて目一杯楽しく過ごそう。貯めてたお小遣いも全部使ってしまおう」と考えて夏休みは元気に過ごしていました。