場面緘黙と、これから

場面緘黙症だった頃の記録を綴っています。

やりたいことや夢を諦めない

"現実というものは「これまでの人生」なんです。つまり、それは変えられない"過去"です。ぼくはそれまで飛行機とロケットの勉強をしていました。でも学校の勉強はほったらかしていました。そのせいでぼくは「将来、飛行機やロケットの仕事はできない」といわれたのです。
この変えることができない"過去"を見て、"未来"をあきらめろといわれてしまうと、(努力しても無駄だ)という気持ちになります。"

"今の自分を見て、未来の自分を決めない。"

植松努さんの著書『空想教室』から。
失礼ながら、この方のことは全くご存じなかったのですが、ネットサーフィンをしていたところ、植松努さんのブログに偶然辿り着きました。
ブログで書かれている植松努さんの考え方を読んで、とても励まされました。
そんなことから、植松努さんが植松電気という会社を立ち上げた方だと知り、この本を読むことにもつながりました。

学生時代、将来を考えるときに、私は「人と話せないこと」がハンデとなっていました。
それに加え、高卒後、アルバイトをするものの、長く続けることができずまともな職歴がないこともハンデとなりました。

それでも、やってみたいことや、夢はたくさんありました。

心理学を勉強したい。
海外に行きたい。
スポーツをやりたい。
メイクが好きだから、メイクについて勉強したい。
服も好きだからショップの店員という仕事もしてみたい。
特殊学級に在籍していた過去から、障がい者支援に関わる仕事に就きたいなんてことも思っていました。

でも、どれも「バイトすら続けられない今の状態じゃ、できないじゃん」「話せないままだったら、心理学やメイクの勉強したところで、それを活かすことができないし、無駄じゃないか」と思うことがありました。

でもその反面、「緘黙を理由にしてやりたいことを諦めるのは嫌だ」という気持ちもありました。

上記に書いたやりたいことや夢は、達成できたもののもあれば、未だできていないものもあります。
1つできないことがあっても、何もできないわけじゃないのです。
私の場合、コミュニケーションについては不得意だけど、それ以外のことはソコソコにできることが分かっています。

例えば、家事や勉強、パソコンを扱うこと、本をたくさん読めること…。
すごくできるわけじゃない。まあまあできる。不得意ではない。そんなレベル。
どれもたいしたことないと言われるかもしれないけど、家事ができれば生活ができます。
勉強ができれば知識を身につけることができます。
パソコンを扱えれば、パソコンを使う仕事をすることができます。

できない部分や自分の過去を見て、夢を諦めるのは勿体ない。できない言い訳をして、やりたいことを諦めていれば、人生を楽しむこともできないと思います。
思い描く夢そのものが実現するかどうかは未知数だけど、「どうせ無理だ」と諦めなければ、夢や理想に近づくことくらいはできると思うのです。

"自信はお金では買えません。いばっても手に入りません。ひとりきりで守って守れるものでもありません。自信を身につけるには、「やったことがないことをやる」しかないのです。
だからこれから先、やるかどうかで迷ったときは「できるか、できないか」ではなく、「やりたいか、やりたくないか」で選んでください。"